私の日記

2006年10月の日記

どうやって防ぐか頭の痛い敗戦だ
2006年10月24日

 22日10時より伊賀市において記者会見。北川県議と伊賀市の新しい県議候補、森野真治君と一緒に今日までの経過そして手続き、当人は抱負等を語った。森野君は現在伊賀市市役所に在職中で、会見など慣れないことで心配したがまずまずの出来だった。会見を終わって退席しようとしたが、後ろの席にテープを持ちメモをとっていた不審な2人がいたので、誰かと尋ねたら警察の巡査2人であった。びっくりしてしかりつけたところ、若い巡査が、どこが悪いのかとくってかかった。何という言いぐさで態度だ。名刺を出させテープを消却させメモを破り捨てさした。マスコミの方も声の大きさに驚いて取り囲み、記者会見に警察官が潜り込むとは非常識もはなはだしいと詰め寄った。秘書と北川県議に後始末を任せ、会場を出たが非常に不愉快であった。政治活動に対する干渉だ。一日中怒りはおさまらず、県連会長の高橋参議院議員にも電話を入れ対応をするように連絡した。

 伊賀市西山の運動会に出て挨拶する。この地区は滋賀県境にある御斉峠の下にあり小さな集落だ。他の地区に出ている子どもさんやお孫さんも大勢参加しているのには驚いた。久しぶりで僕が顔を見せたので皆が様々に激励してくれた。引き続いて炊村の体育大会に出て挨拶をする。ここは旧大山田村で非常に豊かな農村地区だ。合併して様々な不満もあることは肌で感じている。ここでもしばらくぶりに後援会の方にお目に掛かり激励を受けた。

 1時、津市北立誠地区芸能大会に松田市長や前田県議、山岡市議と出席しお祝いを言う。超満員な入場者に驚いた。続いて高茶屋西里の上集会所で対馬一誠のチャリティーコンサートに出席。ご両親が高茶屋に住んでいると聞いている。

 事務所に戻り来客2組に会う。4月から勤めている川本君がここ1週間腹痛で休んでいたが、秘書の伴野君が一昨日から猛烈な下痢で出勤せず、川本君が青い顔で出勤していた。津の事務所もてんてこ舞いだ。

 先日、津の中小企業のF氏が72歳で急逝された。お葬式に出席できなかったのでお悔やみに上がった。奥様が痛々しいほど力を落とされていてお慰めの言葉も無かった。わずか一晩の入院で亡くなったと聞き、あらためて人の命のはかなさを思った。

 3時半から少林寺拳法久居道院の20周年記念パーティーに出席しお祝いを述べた。二十数年前から少林寺議員連盟に加入し三重県では顧問をしている。沢山の県内の少林寺道院長が出席され賑やかだった。久居道院長の小河さんのお父さんが、私の父そして私の若い頃の久居地区の後援会長をお勤め頂き、親子ともども大変お世話になった方だ。90近くになっておられるが、お元気と聞き本当に懐かしく嬉しかった。

 伊賀市へ戻り、事務打ち合わせと遅めの昼ご飯を済ませ青山地区後援会役員会に出席。国会の情勢報告や北朝鮮の核の問題、福祉、社会医療等の制度改変によりどれだけひどい目に遭っている人が多いか等を話す。もちろん県議選の新しい候補者の決定を伝え協力をお願いした。

 この地区の父親以来の支援者の元老に花岡(ハナオカ)さんという方がおられる。最近はお年だしお身体の調子も悪く出てこられないが、この花岡という姓は江戸時代に華岡(ハナオカ)青州(有名な医師で麻酔による外科手術を日本で最初に確立した人)の弟子に青山地区出身の方がおり、郷里へ戻って医師を開業するにあたり花岡という姓を名乗る事を許されたという本を読んだ、と言う話をしたらみんなびっくりしていた。

 1時間余りで切り上げ、車で名古屋へ急行。ぎりぎりで最終ののぞみに乗り上京。車の中で神奈川、新幹線の中で大阪それぞれの補欠選挙の民主党候補者の敗北を聞いた。大阪だけでもなんとか勝利をと願い、私も4度つてを頼って応援に回ったが、少し差が開いて敗れた。新しい総理になった期待感と北朝鮮核実験直後の選挙が影響した。同時に大阪の候補者は当選2回の前議員だ。民主党全体に地元活動をもっと活発にしなければならない事を実感した。

 明日から教育基本法に関する特別委員会で、自民党が勢いに乗ってかなり強引に出てくることが予想される。どうやって防ぐか頭の痛い敗戦だ。 


本当にこの法案はむごいものだと実感している
2006年10月16日

 13日本会議終了後、高木国対委員長と会う。教育基本法の法案審議に関する自民党との交渉をどう運ぶかについて相談する。4時過ぎの新幹線で帰省。7時前に津市に到着。民主党三重県国会議員と連合三重の役員との年に1度の懇談会に出席する。ちょうど今日小沢代表と高木連合会長との間で共同宣言が調印された日でタイミングが良かった。私からは国会の報告や教育特の問題を報告した。県教職員組合の委員長から法案の幅広い議論、国民的関心の盛り上がり等につき注文や意見があった。更に私から伊賀市の県議会候補者内定について報告をした。今日から候補者決定に向かっていろんな手続きに入る。候補者擁立の仕事は何の選挙でもどんな党にとっても難しいものだ。更に正式に決定するまでの手続きも非常に大事だ。ここをなおざりにするといざ選挙の時うまくいかない。今回、立候補要請を申し上げた10数人の方に改めて感謝し、森野真治(36歳)伊賀市役所勤務がうまく政治家としてスタートがきれるようみんなの協力を要請した。

 中座して大阪へ向かう。10時過ぎホテルで息子と久しぶりに会う。街へ出て食事を共にした。


 14日、八尾市へ出向き孫の運動会を見に行く。息子や娘の保育園や小学校の運動会は忙しくて一度もいったことがない。去年も孫の運動会に誘われたが、雨で中止だった。妙に照れながら会場に着き、孫の運動会姿をうれしく見た。選挙区でも幼稚園や保育園の運動会に御挨拶に上がるが、両親以上に祖父母が沢山見物に来ているのに驚かされてきた。自分もその一員になって孫の運動会を見に行く祖父の気持ちを実感した。

 大阪都ホテルに戻り県人会に出席した。例年になく多数の方の出席で賑わった。著名な経営者や各方面で活躍の大阪県人が多数おられて改めて大阪や関西と三重県の結びつきの強さを実感した。挨拶もそうそうに選挙区に戻る電車に乗る。近鉄上六から名張まで50分、完全な通勤圏にある。名張から車で伊賀市に戻り、市会議員の方々にお目に掛かる。それぞれの方に県議の候補者を森野君とすることを伝え了解と協力を要請した。森野君の母親は市議、父親は私の中学の同級生。それだけに市会議員の皆さんの反応はそれぞれだ。当人も家族も、選挙が成功に終わるまで大変なストレスの中で、もがかなければならない。

 夕刻北川県議と当人の森野君を呼び、今後の手続きや準備について相談をし、激励をした。津市から陳情客があり、その後伊賀市の友生地区役員会に出て国会報告と県議選候補者決定の経過を説明した。


 15日。朝7時半に家を出て四日市へ向かう。四日市駅で四日市ひかり会のダンス一泊旅行の見送りをする。今から15年以上前、落選中の私を心配してくれ四日市婦人会長の小黒エミ子さんがダンス会を開催してくれて、後援会活動を活性化して頂いた。月に1度のダンス会と年1度の旅行そしてパーティーに多くの方がボランティア精神で今日までお手伝い頂き、続けてこられた。多い月には200人以上の方が集い、2時間ただただダンスをされる。中高年のダンス熱の根強さに驚いたことも何度もあった。小選挙区になり選挙区が変わっても続けて頂き、参議院選挙、知事選挙、市長選挙と私の応援する候補者を助けても頂いてきた。今年の12月で終えようという中での旅行会。同行をしたかったが到底かなわずお見送りだけでお詫びをした。12月には最後のダンス会を盛大にやりたい。

 伊賀市へ戻り、身障者のスポーツ大会に出席する。合併後初の大会で従来以上の参加者、また明るい顔であったのが大変嬉しかった。身障者自立支援法という悪法が実施されたあとの大会で関係者は皆憤慨している。私も名張市で青蓮寺オーラックという重度の身体障害者のデイケアサービスのお手伝いをしているが、本当にこの法案はむごいものだと実感している。民主党は今国会で元の法律に戻すことを法案として提出をすることを決めたと報告した。名張市へ向かい、二つの地区の運動会で御挨拶をさせて頂く。

 津市河芸に走り、後藤前町会議長にお目に掛かる。私の後援会の幹部で福田県会議員の河芸地区の後援会長をして頂いている。身体をこわされていたがすっかり元気で安心した。県議選の事を中心に話し合った。津市は大合併をして県議会の定数は4から7になる。民主系が4人、自民系が4人、公明共産が1ずつというかってない激戦が予想されている。福田県議は旧安芸郡(一人区)が選挙区で3回当選。それぞれ自民党と一騎打ちで勝ち続けた男だ。今回は今まで以上に苦戦が予想され心配している。出来る限りの応援を続けていきたいと後藤氏に話す。津市の身障連体育大会の閉会式に出席し御挨拶をする。

 伊賀市へ戻り名張からのお客さんに対応する。取れたての新米をもらい喜ぶ。伊賀や名張の米は大阪の寿司米に使われるなど大変おいしい。

 事務所会議を行い、12月のパーティーや県議選のお手伝いの準備等指示を連発した。

 夕方、小田町と西大手町の幹事会に出る。私の父の実家があり親戚がかたまっている地域だ。国会報告と県議選への協力要請をして再び津市へ戻る。

 野田地区の自治協議会で挨拶をした。この地域の古くからの溜池保存で前々からお手伝いを続け、ようやく環境対策として大きく改修保存をすることになってきた。この地域全体の溜池は藤堂孝虎以来のもので、愛媛県に次いで数多くかたまって残っている。保存補修する農家の方々は大変な苦労をされている。利水はダムができ、溜池からはしていないのでなかなか維持が大変だ。ようやく新しい方向が見えてきて嬉しい限りだ。

 そんなことを申し上げ、上京する。今日1日ただただ車で選挙区内の3市をいったりきたりしたというのが実感だが、選挙の無いときに出来る限り顔を出すのも大事な活動だと思っている。11時半に宿舎に入り、残り物で鍋を作って食べた。


小泉総理の代理で朝鮮総連の大会で祝辞を読んだ
2006年10月11日

 国会が本格的に動きだした。総理の所信演説、代表質問、予算委員会、特に安倍首相の方針や考えがどう表現されるか注目したが、非常におとなしく、ただ多弁でカタカナを使いまくる印象が強かった。また、村山内閣時代の国会決議や河野談話(所謂慰安婦問題に関する談話)を従来通り政府の方針として守っていくというのには正直あれっと思った。安倍首相個人の永年の主張はどこへ行ったのか。
 そのうち中国、韓国への8,9日の訪問と首脳会談が伝わり、このための変節かと妙に納得した。22日の衆議院補欠選挙に向け、自民党総裁選に勝利する前から小泉総理の路線を切り替えるため、かなりの動きがあったようだ。靖国神社を参拝するしないや、参拝したしないを一切言わない、という奇妙な方針変更も訪中訪韓の条件なのだ。
 もちろん、日本の首相として途絶えている中国や韓国との首脳の交流を再開発展さすことは大事な事だが、安倍首相は点数を稼ぐため少し急ぎすぎていると感じる。

 代表質問、予算委員会では鳩山幹事長、菅代表代行、田中眞紀子さん等が小沢代表入院中を補って十分存在感のある論争を挑んだ。菅代表代行の、戦前生まれと団塊の世代、安倍総理らの世代の、第二次世界大戦の日本の状況認識や敗戦後の国の進んだ道についての思いに世代間の違いがあるという論点には同感で、珍しく菅代表代行を激励した。

 3連休の間、郷里で運動会や敬老会等各種行事に飛び歩きながら、民主党三重県第一区総支部役員会や伊賀市後援会・役員会等を開き、伊賀市の県会議員の公認候補者決定の手続きのツメを行った。

 9日、北朝鮮の核実験実施のニュースが流れた。まるで中国、韓国へ行っている安倍総理へのお祝いのようなタイミングだ。安倍総理は対北朝鮮問題で強硬派として国民の支持を飛躍的に伸ばし自民党総裁選に圧勝した。この時期の北朝鮮の核実験実施は22日の選挙戦に与党に有利な風が吹く可能性があると一瞬思ったのもひがみかもしれない。同時に韓国の潘基文外交部代表が国連の事務総長に決定した日をねらって強硬にやったというのが私自身の判断の一つだ。
 日本や北東アジアの平和と安定・世界の平和に、無謀な挑戦を行う北朝鮮のやり方を許すべきでない。北朝鮮に、徹底的にありとあらゆる面からの制裁を実施し猛省を求める以外にない。

 10日の予算委員会でも議論が様々に出た。安倍総理はタイミング良く訪中訪韓をしたことを盛んに強調したが、今までの対応が余りにも甘かったと言うことに尽きる。
 例えば、夕方本会議が開かれ北朝鮮核実験非難決議を行ったが(満場一致)、提案者は自民党の逢沢一郎議運委員長だった。彼は自民党の拉致対策本部長の時、小泉総理の代理で朝鮮総連の大会で祝辞を読んだ。又拉致問題でも政府の対応は北朝鮮に対する遠慮ばかりが目立ったのも事実だ。
 核実験が成功であったのか不成功であったのかは別に、北朝鮮政府が核実験を実施したことを表明し世界を脅迫していることは事実だ。私達も政府に激励督促と批判とをタイミングを計りながら行わなければならない。
 予算委員会で三重出身の中川正春議員が質疑に立ったので安倍総理に、韓国の盧武鉉大統領が従来の発想や主張を変えて北の行動に厳しく対応し制裁措置等を含む行動を日本やアメリカと一致して行う考えを会談で言明したか、と質問をしてもらった。答弁は曖昧でどうやら盧武鉉大統領は従来同様、日本の歴史観問題で多くの時間を割いた話をしたようだ。

 北朝鮮に対する太陽政策が全部悪いとは言わないが、毅然たる対応を韓国政府がここ数年間とらなかったことが北朝鮮を判断ミスに導いていると思っている。
 国連決議やその決議の中に第7章の制裁が含まれるのかどうか、またそれらが成立した時海上封鎖や臨検は日本政府が協力できるのか、法的に問題は無いのか、あるいは情報収集能力に欠けている日本の政治行政をどう変えるのか。
 隣国に無謀な独裁者に導かれる核保有国をもつ日本として、国家と国民の安全のための総合的で実効的な外交や防衛はどうあるべきか。きちっと議論をし、結論を出し実行していかなければならない。政治が結果を問われているし、野党とはいえ民主党の対応が重要となっていると言い聞かせている。


なんと人の良いことかと自分でもあきれかえる
2006年10月03日

 28日朝8時、党の教育基本問題調査会の会合に出席。安倍内閣の元で教育基本法改正問題が今国会の最大の焦点になる。党として十分な論議を国民全体でやる事が大事だと言う基本方針を再確認した。会館の自室に戻り昨夜遅く国対から届いた本国会の委員会配置を見る。なんと予算委員会と法務委員会そして政治倫理公選法特別委員会の3委員会に所属することになった。忙しくなりそうな国会と覚悟をする。

 11時過ぎ鳩山グループの一週間に一度の会合に出る。鳩山さんのグループの会合は鳩山さんをとりまく人と旧民社系と旧自由党系等の人達が集まっている。勉強会と情報交換の会合で、若い人たちにとっては有意義な会合だと考え時々出席して意見等を言っている。代議士会、本会議、開会式と会合会議が続く。

 この間に国対関係者に、3つも委員会に配属するとは驚いた。もっと若い人に働いてもらったらと少し苦情を伝えた。本会議終了後自室に戻り溜まっている仕事を片付けはじめるが、次から次へと新しい大臣や副大臣に就任された方々が御挨拶に来られる。皆嬉しそうだ。しかし、今回の内閣の顔ぶれは極めて常識的で(自民党的に)小泉内閣のような強いインパクトはなかったと分析している。

 夕刻小沢代表の秘書役を務めている前衆議院議員の樋高剛さんが来室してくれる。小一時間小沢代表の病状や今回の民主党の人事、これからの諸選挙に仲間の応援等をどうするかなど懇談した。検査も順調に進んでいると聞いて一安心した。樋高君は今落選中で苦労しているが小沢代表の秘書から自由党で国会議員になった好人物だ。小沢さんが民主党代表になってから秘書役をやっている。次回のカムバックをいつも期待している。

 法務省官房長が挨拶に来室。法務委員になったことを大変よろこんでいた。16時半から税理士政治連盟の総会に出て挨拶をする。日にちが良く与野党の大勢の議員が出席していた。

 夜の会合がドタキャンになり、久しぶりに宿舎でアルコール抜きで食事をしようと帰路にスーパーに寄った。その途中平野国対委員長代理から電話があり、どうしても頼みたいことがあるので夜遅くてもいいから会いたいとのこと。何事だろうかと思いながら買い物に行くと岡田克也議員にばったり会う。また宿舎の隣の部屋の議員にも出会う。みんなから夜酒席に出ないこともあるのかと冷やかされる。

 大急ぎで宿舎へ帰り、鍋料理の準備を整え平野議員との会合場所へ走った。何の話かと聞くと今国会での最大の焦点、教育基本法改正特別委員会の民主党の筆頭理事をやってほしいとの頼みだった。あれこれと想像して行ったがまさかこの特別委員会の理事を言われるとは思わなかった。平野君には既に3つの委員会に所属しており到底受けられない、また昨年郵政民営化の筆頭理事をしてそのあと大変辛い思いを今日までしてきた。勘弁してくれと固辞をした。が、鳩山幹事長、高木国対委員長が次々と電話に出てどうしても受けて欲しいとの一点張り。遂に根負けして引き受けると返事をした。なんと人の良いことかと自分でもあきれかえる。

 週末郷里で県議候補の擁立問題や運動会、敬老会等の出席また労働組合の大会等で飛び回っている最中にも大変な委員会を引き受けてしまったと珍しく愚痴り続けた。 


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