私の日記

2007年02月の日記

拉致対策本部と拉致議連・予算委員会
2007年02月23日

 拉致対策本部や拉致議連の会合相次ぐ

 19日予算委員会終了後、党拉致対策本部総会を開いた。家族会の事務局長の増元さん、特定失踪者問題調査会の会長の荒木さん、外務省の審議官等に出席頂き、六ヶ国協議の合意について議論をした。党内関係者は誰一人合意の中身をあまり評価せず、かつてクリントン時代に結ばれたジュネーブ合意の二の舞にすぎないという酷評すら出た。
 また、拉致解決という悲願から見て到底前進とは言えないのではないか?と言う意見も噴出し続けた。外務省は日本が拉致問題で前進がなければ一切の援助に参加をしないという方針を日本と北朝鮮を除く4ヶ国は理解をしている。六ヶ国協議の中に日朝協議の作業部会が正式に認められたのは前進だ。この場を通じて拉致問題の進展を見られない限り国交回復もなければ、百万トンの重油援助に日本は加わらない方針を堅持していくと繰り返していた。
 増岡さんは、日本政府はよく頑張ったという評価で、従来なら作業部会が作られた合意だけで、五万トンの重油援助に加わっていたが、今回は毅然とつっぱねた。また、アメリカは方針を変えていないと言っており、今後も拉致問題で日米の連携が行われると信じていると意見を言った。
 荒木さんは反対に政府は今回、六ヶ国協議の合意から外れてでも強硬策に出るべきであった。経済的な制裁等も強めるべきだと表明された。いずれにしろ、拉致問題と朝鮮半島の非核化にはまだまだ時間がかかりそうだ。
 私はその間に拉致問題に対する国民の関心が風化したり、横田さん御夫妻のご健康問題が起こったりしないかということ、そして2〜3年で北朝鮮が持っている数発の核兵器をミサイル搭載可能な小型化が進められることを心配している。
 あくる20日、拉致議連の総会が久しぶりに開かれた。横田さんご夫妻をはじめとする家族会の方々・救う会の西岡代表・政府の対策室事務局長中山さん・外務省の佐々江局長(六ヶ国会議交渉の日本代表)等が出席した。
平沼会長が病気欠席のため、会長代理の私が挨拶をした。超党派なだけに個人的意見は少し控えめに、政府や自公の顔を立ておだやかに、しかし、一歩もひいてはならないという思いを込めて挨拶をした。
 家族会の方々はこの会合の後、首相官邸で安倍総理に会われる予定で、少し興奮気味だった。無理もない。小泉前総理は横田さんご夫妻に一度も会われたことは無いのだ。そういう意味で彼らは藁にもすがる思いで今回の合意を評価していた。
政府がその期待通り、あの想像を絶する国、北朝鮮と毅然と交渉をして欲しいし、アメリカが日本を素抜きで北朝鮮と国交回復したり金融制裁解除をしたりしないよう外向的努力を続けるよう釘をさしておいた。
 
予算委員会で質問に立つ

 20日朝、倫選特の委員会に出席した後、予算委員会で10時から1時間質問に立った。前日枝野議員から急に質問に立って欲しいと要請された。色々質したい問題もあったが絞り込み、先ず柳沢・久間両大臣の発言騒ぎにそれぞれ苦言を呈した。柳沢・久間両大臣とも頭の良い議員だと思ってきたが、それぞれの発言ですっかり影をひそめている状況になっている。
 その後、生田郵政公社総裁に民営化の準備の問題点、一つは予定通りの人数確保。
もう一つは公社が現在行っている福祉事業の今後。の二つを聞いた。
 その他、
一、中国残留邦人問題
一、イラク派兵の自衛隊隊員の問題
一、拉致対策と六ヶ国協議
等で議論した。伊吹文部科学大臣にも教育改革問題で議論をすると通告をしていたが、久間防衛大臣とのやりとりが長引き、次回に送った。
 予算委員会の質疑はいつも予定通りにはいかない難しさがある。今回は準備した質疑をあまり枠を離れずにやったと思うが、防衛省の資料がなかなか出ず、質問直前になって届いたが、思いもかけないデータが記述され、少し時間がとられた。防衛省がこのデータをなぜ出したがらなかったかもう少し研究をしようと思っている。


本予算質疑始まる
2007年02月16日

 山本幸雄 元代議士(旧三重一区選出・元自治大臣)逝去

 7日、8日と予算委員会が再開された。柳沢厚労大臣の発言問題を含め、少子化対策で一日半予算委員会を開いた後、本予算の質疑に入るということで、与野党の話し合いが決着した。

 7日の午後と8日衆議院の予算委員会、9日が参議院の予算委員会になるだろうと予定をしたところ、参議院が別の決着をつけてしまい、9日から本予算の質疑になってしまった。テレビ中継がされての民主党の質疑は13日で、菅代表代行・岡田元代表・前原前代表が揃いぶみでの論戦になった。

 8日朝から元衆議院議員で旧三重一区で私と選挙戦を争った山本幸雄先生が95歳でお亡くなりになり、今日お通夜、明日お葬式という連絡が入った。お葬式は予算委員会、本会議等でお参りできないので、8日夕刻、予算委員会を終えお通夜に参列した。昭和51年に私が初当選した選挙で山本先生は落選された。

 その後、平成2年の選挙に岡田克也君に地盤を譲られ引退されたが、私とは6回の選挙戦を戦ったことになる。先生は警察庁から建設省と役所勤めをされ、当時の河野一郎建設大臣にすすめられ出身の三重県から自民党で選挙に出られた。色々な思い出が席上脳裏をよぎった。又、山本先生の娘さんが私の立川高校時代の同級生新井君に嫁いでいる。お通夜の席上でお互い同期生で奇縁だなあと言葉を交わし、改めてお悔やみ申し上げた。


 本予算質疑始まる

 13日の予算委員会は民主党の応援席も仲間の議員が大勢応援に駆けつけたが、自民党席はいわゆる小泉チルドレンが大動員され、1日中野次怒号に包まれた実に品のない委員会になった。

 安倍首相をはじめ各大臣の答弁は極わめて居丈高で参議院選挙を意識しむやみと対決姿勢を際だたせ、数で圧倒している姿を見せつけようとしていた。菅・前原・岡田各氏はそれぞれに格差是正、一般国民の消費刺激策、年金・医療対策等真面目に真っ正面から論戦を挑んだが、与党のけんか腰の姿勢で論戦があまり深まらなかったのは残念だった。

 松岡・尾見両大臣のいわゆる事務所費疑惑に関して正したのにも、問題がないというだけで何ら応えず、逆に松岡大臣は答弁の最中に等如、「当選10回の中井さんであれ誰であろうと」と実名を挙げだした。何で私の名を出すのかと野次ったら、多かれ少なかれ政治家は疑われる様等の発言をテレビの前で続けた。野次怒号で充分聞こえなかったが、直ちに抗議した。

 委員会終了後松岡大臣を捕まえ、「あれはどういう意味があったのか?」と叱ったところ「お顔が見えたのでつい中井委員の名前を出してしまいました。緊張していたので、後は何を話したのかよくわからない。」と釈明した。直ちに取り消し、速記録を削除するようにと注意した。

 あくる日、我が党の理事から取り消し削除の通知が自民党からあったと報告が入った。まったく不愉快
な出来事だった。こんなけんか腰の予算委員会を演出するとは、自民党も安倍内閣の支持率低下を意識しすぎと思わざるを得ない。安倍首相も去年の国会とは違い発言等のスタイルを変えようとしている。しかし、見ていると教えられている知識をただベラベラとしゃべっているだけだという感じが強い。


 ノロウイルス対策で牡蠣フライをとは?

 14日の予算委員会で与党の議員が牡蠣の風評被害について質問した。ノロウイルスの蔓延で下痢・発熱等の症状が各地で頻発し、これに対して厚労省の審議会が生牡蠣などが媒介になるという説を出し、そのことによって三重県の名産の的矢牡蠣をはじめ各地区の牡蠣養殖業界は例年の2割くらいの生産高しか得られず壊滅的打撃をうけている。ノロウイルス牡蠣原因説が全く根拠が無いとし、風説の被害だとしてなかなかいい質問をした。

 安倍首相は答弁のあとに得意気に「私は今晩牡蠣フライを食べようと思っています。」と答えた。私はすかさず「生牡蠣を食べないとダメじゃないか。」と野次を発した。満場、笑いに包まれたが、安倍首相はきょとんとしていた。総理はこういった事も実際に知らないのだと妙に納得した。この辺が小泉さんとの違いかとも思った。一方、総理は胃腸が弱く生ものやアルコールが駄目だといううわさは本当なのだと妙に得心した。


 この日、朝から6ヶ国協議の妥結が報じられ、我が党も原口議員をはじめ何人かが議論を挑んだ。総理は拉致問題の前進が作業部会で進展しない限り重油100万トンの援助に日本は参加しないと言明したが、外務大臣は日朝関係に進展がない限りわが国は援助の中に入らないと答えている。この辺を含めきわめて曖昧な妥結だ。強行策でいくと思っていたアメリカが昨年の中間選挙での敗北を受けイラン・イラクでは短期的な強行策、北朝鮮核問題では柔軟な対応と方針を切り替えていたのだ。日本だけが素通り、素抜きにされた形成がありありとみえる。15日夕刻から党の拉致問題対策本部を急遽開く段取りを党本部に命じた。


柳沢大臣発言・北九州市長選、愛知県知事選
2007年02月06日

 柳沢厚労大臣発言

 31日から予算委員会が開かれ、2日までの間、本予算の審議に先立って補正予算の審議が行われる予定だった。しかし、柳沢厚労大臣発言の波紋が強く大きくなり与野党が真っ正面から激突をしてしまった。柳沢大臣の発言は信じられないような失言で政治家としての資格すら疑わざるを得ないと考えている。まして、少子化対策担当大臣の発言として全く不適切きわまりない発言だった。当然、即刻辞職するなり、総理が更迭すべき発言だと思う。しかし今、安倍内閣は支持率が下がり続け不安定の中で国会審議のスタートを切ろうとしているので、ここで大臣の首を切ることは内閣にとって大きな痛手になるので出来ないというのが実態だ。自民党の中からも辞表を出すべきだという声があがっていたが安倍総理がかなりヒステリックに押さえ込んでいるという話が広がっている。

 30日火曜日

 代議士会で国会対策委員長より審議拒否の方針が決まったと報告された。31日からの予算委員会も予算委員打ち合わせ会で出席しない事の確認がされた。いわゆる審議拒否はいつも国民の理解が得られず、結果として苦しい選択になる事は言うまでもない。しかし、現在与党が330議席・野党が140議席余りの圧倒的数の差があり、国会対策として他に方途もなく苦しい選択だ。

 日曜日に北九州・愛知県の選挙が行われる。この結果をにらみながら柳沢大臣の更迭を強く求めて審議に入れないのもやむおえないと思う。党内には色々な議論があるし、各種会合でも強弱それぞれに意見が出たが、私は決めた以上一致結束辛いのを我慢して頑張るしかない。そして、2つの地方選挙の結果で対応をすればいいと言い続けた。

 3日土曜日

 愛知の知事選挙の応援に入り、街頭2ヶ所で応援演説をした。大変追い上げていることを実感し、何とか勝利して欲しいと訴えた。

 4日夜

 新幹線で上京中、北九州市長選の北橋候補者から電話があり、「民放の当確が出た。いろいろとお世話になり有り難う。」と疲れも見せない元気なお礼の言葉で嬉しかった。深夜、愛知県が敗れたとの報道で残念極まりなかった。よく追い上げて僅少差までもつれた。柳沢大臣発言以降の陣営の激しい追い込みでもう一歩までいけたのだろう。

 月曜から参議院での補正の与党単独審議をにらみながら、本予算審議から質疑に入る話し合いが衆議院で始まるだろうと幾つかのマスコミのインタビューに答えた。


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