私の日記

2009年05月の日記

 5月28日(木)
2009年05月28日

 韓国の盧武鉉前大統領が自殺をしたという衝撃的なニュースが入って来た。過去3回、青瓦台でお目にかかりお話を聞いた事があった。又、3回目は南北首脳会談前だったので、僕から拉致問題解決へ向けて会談で発言をお願いした経過等も思い浮かぶ。
 26日午後、韓国大使館に弔問に上がった。前日、北朝鮮が核実験を再開したという暴挙のニュースもあり、大使閣下と少し話をした。


 北朝鮮が核実験を再び行うのではという観測は前から流れていたが今回はミサイルも発射、2日続けてミサイルを発射したという事も発表されマスコミや色んな方面からコメントを求められたり、対応について相談をしあった。
 国民が飢えと圧政に苦しんでいる中、核保有国になって世界での発言力を誇示し、体制維持を強化しようとする誠に凄まじい独裁政権の姿だ。その国が我が国の隣りにあり、しかも我が国から数知れぬ程の人々を拉致していたというのだから物の言い様もない位、憤慨に堪えない。


 27日朝から外交防衛部会に出て色々な議論を最後まで聞き、発言を求めて今年4月、北朝鮮がミサイルを発射した直後、拉致対策本部で昨年僕がまとめた北朝鮮に対する日本独自の制裁案を部会として検討し、政策として実行出来るよう求めた。
 役員会で検討中だと呑気な話しだったので憤慨して拉致対策本部は党本部に設置された組織だ。明日の内閣の一部局の外交防衛部会に諮る必要は無く、常任幹事会へ直に出せば良いのを、前回の北朝鮮のミサイル発射に合わせ、民主党の厳しい姿勢を国民に示すべきだとわざわざ提言をしたのではないか。
 今回の核実験再開やミサイルの連続発射に対し、日本は断固抗議をし、出来る限りの制裁措置を急ぐべきだと僕は思う。躊躇したり逡巡したりするようでは民主党の支持率も低落する恐れがあると言って退室した。


 党内には朝鮮総連とお付き合いにある議員や北朝鮮に妙に肩入れする議員もいる事は承知をしているが、それは自民党でも同じ事で気にもしていないが、いざという時に迅速に対応を決定し行動出来ないと政権担当能力を疑われると心配をしている。
 このまま何もしない訳にはいかないので松原仁さんや渡辺周さんと大至急29日に相談をして行動を起こそうと決心する。
 29日には日帰りで韓国へ前大統領の国民葬に日韓議連の副会長として出席をしようと日程調整をしていたが、本会議も入り残念ながら諦めて党内の調整に走りまわる事にした。


 再度、常任幹事会議長を
2009年05月19日

 月曜日、11時過ぎに鳩山新代表から携帯に電話が入った。基本的には大半の人事を居抜きでやりたいと考えているのでご協力を。引き続き常任幹事会議長をという事だった。「僕はもう何年も務めているので、些か飽きが来ていますよ」と申し上げたら、政権交代をしたらど真ん中で働いてもらいますからご辛抱をとのリップサービスが付いた。こういう事をさらりと言ってはケロッと忘れるのが鳩山さんの真骨頂かもしれない。


 今度の執行部では小沢さんが代表代行で選挙担当に就任。岡田さんが幹事長になった事が何と言っても特徴だ。予想通りと言えば予想通りだが、鳩山さんとしては順調にスタートを切ったという事に収まって行くのだろう。しかし、小沢代表代を十分、鳩山さんがコントロール出来るかどうかが大事で、出来る限りのお手伝いをして行くつもりだ。


 19日朝から両院議員総会役員会に引き続いて常任幹事会が開かれた。両院議員総会で人事が満場一致で承認され、鳩山さんの挨拶の後、代表・代表代行・幹事長の5人でマスコミサービス用の握手の写真を撮った。ここら辺は鳩山さんの気遣いだろう。
 写真で思い出したが、丁度、一週間前の小沢体制での最後の常任幹事会で撮った全員集合の写真は出来ているのかと事務方に聞いたら出来ているとの事。直ちに配る手配をと命じておいた。マスコミが退席後、小沢さんと岡田さんにもそれぞれ挨拶をしてもらいスタートした。まずは穏やかな出発でこの2ヵ月の重苦しい空気を打ち払い、党として新しい展開や国民のご期待をいただける可能性も大いにあると喜んでいる。


 鳩山新体制
2009年05月18日

 13日午後から三重県の衆参5人の議員が僕の部屋に集まり岡田君が代表選挙に立候補し、三重県の国会議員に要請が来たなら全力でバックアップをしようという結論になった。夕刻、岡田議員が部屋を訪ねてくれて、立候補決意の表明があった。僕の方からはあまり反小沢という空気を出さず、選挙戦を戦った方がよいというアドバイスだけしておいた。
 鳩山議員には電話をかけ「こういう事情でお手伝い出来ず申し訳ない」とお断りした。さすがに少し寂しい、残念そうな返事で申し訳ない思いだったが仕方がない。割り切っている。しかし、今回の選挙は表面に立って動くのは遠慮すべきだと思いその点を申し上げておいた。


 14日、お二人の出馬の記者会見も見させていただき、立派な表明だったと安心をした。特に岡田さんの司会を三重県の中川正春さんがやってくれた事にひと安心をした。昼間、鳩山さんがお訪ねをしていただいたが外出をしており会えなかった。夕刻、岡田さんが再度訪ねてくれたがこの時は他の議員もおり、充分な話は出来なかった。テレビやマスコミの取材が殺到して民主党に対する期待を又取り戻せそうだと岡田さんは喜んでいたのが印象的だった。
 16日に候補者の演説やディベートが予定され、その結果で考えると言う議員も多いので、十分気を付けてやるようにと激励しておいた。動かないと言っても気になるので親しい議員さんや会館の隣近所の議員さんにどんな空気かと色々聞いた。今回の代表選挙は菅さんが立候補を見送ったので初めて保守系というか(旧自民党)の人同士の対立で、どちらも東大出で、豊かな家庭に育って人柄も良いと共通点も多い。差は鳩山さんが少し年長という事と、彼は融通無碍だが、岡田さんは頑固一徹という違いぐらい。どこかのグループがまとまって片一方にという選挙ではないだけに、マスコミも票読みが難しいようだった。
 金曜日の夕刻、友人と息抜きに出かけていたら鳩山夫人から電話がかかったのには驚いた。鳩山議員が優勢だといわれているが、なかなか激戦の中、必死さが伝わってきた。一方、岡田さんの応援では三重県の議員の頑張りが大きな話題となっていた。


 両院議員総会当日、少し早めに会場へ行くと鳩山さんとグループの人達が入り口で立って国会議員に握手をしていたのにはびっくりした。その隣りに三重県連の議員が岡田さんの変わりに立ってお願いをしていた。本当に皆の努力には頭が下がる思いだった。


 決意表明と応援演説、ディベートとかつて無い趣向で皆、興味深く聞き入っていた。岡田さんも4年前の敗戦の悔しさを晴らして自分の手で政権交代をしたいという熱い思いがよく伝わってきた。鳩山さんの話もこの3年間の成長を見せつけ、脇のしまった新しい鳩山さんを十分印象づけ、会場はどちらの話にも立場を超えて大きな拍手がしばしば起こった。
 投票・開票、岡田さんが95票、鳩山さんが124票、少し差はついたが、実質、一人で戦った岡田さんの健闘と言えるのではないかと思える結果だった。会場の席は「あいうえお順」だったので、丁度、鳩山新代表が僕の真後ろで、当選の時にお祝いを申し上げた。


 非常に爽やかな新鮮な感じのする両院議員総会で、又、党にとって良い結果だったと皆は受け止めて選挙区へ散った。僕も新幹線に飛び乗り、地元での会合に間に合うように帰省した。高橋参議院議員も同席なので、それぞれに党大会の報告をして鳩山新体制のもとで一致結束、新たな思いで頑張る事を誓った。
 同時に高橋参議院議員には岡田君はたぶん幹事長ポストを提示され受けると思うが、落ち着いたら今後の基礎固めのグループを何らかの形で三重県の国会議員が中心で作らないと先々が大変だと言って、来週でも相談をしようと約束をして別れた。


 最後の常任幹事会
2009年05月13日

 昨日の小沢代表辞任記者会見の後、今日は役員会、常任委員会、両院議員総会と一連の新代表選定に向かっての会議がセットされた。11時からの会議前に部屋に入ると開会5分前に小沢代表が出席してきた。珍しく早く来るじゃないかと冷やかしたら、最後ぐらいはと笑っていた。マスコミの前で挨拶をされますか?と聞いたところ、昨日散々やったのでと言われるので頭取りだけで会合をスタートさせた。


 小沢さんの辞任の挨拶は大変力強く思いがこもった良い表明だった。特に自分が身を引いて、党の一層の一致結束が図れるならこれに勝る事は無い。役を退いても政権交代を実現するため全力を尽くすときっぱり言い切ったが、皆が一番望んでいる言葉だった。小沢代表の辞任の決意を了承して頂けるかという議長としての僕のしきりに、小沢代表一人が大きな声で異議無しと答えたのには思わず笑ってしまった。改めて異議無しで皆の了解を得た。
 僕から「今日まで3年間、小沢代表が獅子奮迅の活躍で党の先頭で頑張って頂いた事に心から敬意と御礼を申し上げる。今後とも只今のご挨拶にあった様に勇猛心を奮い起こして政権交代実現の為、頑張って欲しい。常任幹事会を代表してご挨拶を申し上げる。」と述べ満場の大拍手で小沢さんも満足そうに頭を下げていた。


 鳩山幹事長から16日土曜日、両院議員総会で現職国会議員だけで代表選出選挙を実施したいという提案があった。過去、歴代代表が中途で退任したとき規則にのっとって、両院議員総会で決めてきた。当然の提案だと聞いていたが、北澤副代表から次期衆議院の候補者、総支部長等を有権者として幅を広げるべきだと提案があった。小沢代表が手を挙げたので、僕が指名したところ、北澤さんの話とも思えない。もし、有権者を広げるというなら、規約を変えなければならない。辞めた代表のもとで規約を変える事は選挙前に突然、有権者を増やす事になって、民主主義のルールが崩れると激しい答弁があった。北澤さんもすぐに手を挙げたが、僕はこの論争が折角の小沢代表退任の空気を目茶苦茶にしかねないと思い、弱ったなと一瞬考えたところに前原さんが手を挙げられたので、前原さんを指名した。
 ところが、北澤さんが自分が言うべきだと思って発言をし始めたので、僕は前原さんを指名したと申し上げ、前原さんに発言を促した。その後、北澤さん、松木さん、小川さん、古賀さんと賛否それぞれの議論が続いた。他に質問や意見が無いのかと尋ねて、無さそうなので執行部の提案通りご異議ありませんか?と聞いたら、異議無しという圧倒的発声で決定された。13日の読売の1面には僕が議論を打ち切ったと書いてあったが、全く酷い話だ。もっと充分、取材をすべきだ。
 又、朝日新聞には小沢代表が一人で大きな声で異議無しと言って押し切ったという記事が載っていたが、これもさっき述べた様に自分の辞任に関しての異議無しの発言をあえてぼやかして書いて誤解を与えている。全く、ここ2ヵ月余りのこれらの報道機関の小沢代表に対する悪意があるとしか思えない。妙にうがった報道には困ったものだ。


 最後の常幹の終わりに、長年、ご協力を頂いた御礼を申し上げ、拍手の中で会議を終えたが、僕のアイデアで写真を撮ろうという事になった。3年間、少し人の出入りはあったが、このメンバーで党の最高決定機関を運用してきた。40人を超える人数だから、なかなか食事をという訳にもいかず、最終日になったので、せめて写真だけをと考えてお願いし、皆、珍しい事だとか初めてだとか、子供みたいに写真にはしゃいで加わってくれた。和やかな空気の中で散会出来てよかった。同時にマスコミ等では大話題になって、写真が出来たらすぐに欲しいという事だったので、党本部に依頼をした。


小沢代表辞任!!!
2009年05月11日

 9日、10日と週末座談会や色んな会合での挨拶や戸別訪問等を行い、月曜日も地元津市をまわっていた。突如小沢代表が辞任というニュースが飛び込んできた。夕刻の予定をキャンセルして列車に飛び乗り、とりあえず上京。新幹線の中にも地元の記者クラブの皆さんからも連絡があったが、何も答える事が出来なかった。5時から記者会見という事だが新幹線は6時前に着く。小沢代表の秘書に党本部へ直行するので代表にお会い出来るようにと依頼をして色んな事を考えながら新幹線での時間を過ごした。小沢代表にまつわる大連立の騒ぎや色んな出来事が思い出されてならなかった。


 東京駅から党本部に着いたが、大変なマスコミの人の波だった。代表の部屋にすぐ通され、15分ほどしゃべった。小沢代表はさばさばとした様子であなたに2時間前に電話をかけたが通じなかった。辞任しても選挙を徹底的にやるんだという決意を再三述べておられた。連休中に決めたの?と聞いたところ、連休中に暇があったのでじっくり考えて決めたんだと言われた。事のついでに三重県の選挙区の状況について感想を言われ、選挙に頑張る強い意欲は充分伺えた。いずれにしろ小沢代表の決断に応えて民主党が総選挙に向け、一致結束の体制を早く作り上げ、政権交代へひたすら進まなければならない。小沢代表のもと、総選挙を戦い、小沢総理の実現を見たかったが、小沢さん自身が今、置かれている状況を充分判断され、思い切った進退決断をされた以上、これを受けて新体制を一日も早く作れる様、又、挙党一致が出来る様、頑張る以外に無い。


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