|
24日夕刻、羽田空港へ明日のソウルでの新大統領就任式に日韓議連の副会長として出席の為。長く日韓議連に関係し、最初は朴 正煕、全 斗煥、盧 泰愚、金 泳三、金 大中、盧 武鉉大統領と韓国のリーダーがクーデターであったり、民主的な選挙で選ばれてきたが、就任式に出席するのは今回が初めてだ。
空港で斎藤十朗前参議院議長と一緒になった。久しぶりで色々な話をした。彼とはソウルでもパーティーで一緒なったり帰りの飛行機便も一緒で、血色も良く、日韓親善協会の会長や全国社会福祉協議会の会長を務め、忙しく過ごしておられるようだった。
ソウルに着き、夜、高木衆議院議員と山根参議院議員と一緒に日本から同じく就任式に出席の為、ソウルに来ている在日の韓国人の友人と食事をした。
翌る日は寒く、どんよりした天気でマフラー・オーバー・手袋・カイロ等、重装備で会場の国会前広場へ向かった。歌や踊りが開会式前に繰り広げられ、昔の韓国の国会議員や現在の国会議員等色々な友人に挨拶をした。前の方には金 泳三・金 大中元大統領やライス国務長官、武大偉外務次官等の顔も見られた。
菅代表代行や民主党の訪韓団一行とも会った。今回の民主党の訪韓団に加われという要請を鳩山幹事長から受けたが、既に日韓議連で出席を約束していたので民主党の方は断らせて頂いたと菅代表代行にお断わりをした。明日、菅代表代行は大統領に青瓦台で会うんだと嬉しそうに教えてくれた。この忙しいのに大変な厚遇ぶりだとびっくりした。
福田総理もご夫妻で入場され、定刻、華やかに就任式がスタートした。盧 武鉉直前大統領も盛大な拍手の中で出席された。歴代前大統領が逮捕、拘禁され続けてきただけに、韓国の政界の成熟ぶりを改めて感じさせられた。
1時間の式典の間、クライマックスの李 明博大統領のスピーチは約25分。大半が内政面でのきめ細かい分析と変化を必要としているとの熱い訴えに費やされていた。韓国社会の全ての階層で対決を緩和し、それぞれの立場で一生懸命働いて、韓国の新しい60年をスタートさせよう、自分(大統領)は公務員の先頭で、一番良く働く事を約束すると訴え、最後に飯も食えない貧困の中に育ち、苦学生、アルバイトでの生活、大企業への就職と経営者、国会議員、ソウル市長そして大統領へと夢を描いて頑張れば実現できる可能性の国、韓国をもっと発展させようと自分自身を例えに最後に一際声高く訴えたのには大変感動をおぼえたし、数万の大参加者も大きな興奮に包まれていた。
終わって日韓議連の昼食会出席。いつも議論し合う韓日議連のメンバーに加え、去年、ソウルでお目にかかった李 相得国会副議長も出席して頂いた。李副議長は李 明博大統領のお兄さんさんで、温和な調整能力に優れた方だ。ここ数年来の日韓議連の役員会と雰囲気が様変わりし、和やかな雰囲気で終始した。僕もスピーチをし、地方参政権の問題をこの機会に片付けるべきだと申し上げた。
席上、森会長から新大統領が各国代表と分刻みで会談をセットされている中、民主党の菅代表代行一行と中曽根元総理一行と一緒に面談されるのは極めて異例の事だ。民主党は小沢代表が22日、大統領と会談したばかりで今回、日韓議連も大統領との面談をご辞退させて頂いたのに少し外交上、異例な形でご配慮頂いたのは、李副議長のお口添えのおかげだという話があった。改めて副議長に民主党としてのお礼を申し上げておいた。
終わって国会議事堂内での就任披露パーティーに出席した。韓国の国会議員や外交官等が数多く出席していて、華やかであった。多くの国会議員や金 守漢韓日親善協会会長、柳前駐日大使で次期外務大臣、又李副議長にもご挨拶をした。何人かの議員に次の選挙の状況を尋ねた。間違いなくハンナラ党が勝利しそうだが、経済状況が大変厳しいし、李新大統領が選挙までのひと月半、あまりに具体的な成果をあげないと意外とハンナラ党も厳しいと言う議員も何人もいた。
日本と同じような格差や、高齢化社会の諸問題等、韓国経済も内部で抱えている問題は多種多様だ。外へ出ると大雪でびっくりした。帰路、空港へ早めに出たが大混雑ですれすれの時間で飛行機に間に合った。
神田厚さん逝く
昭和51年、僕と民社党で初当選同期で羽田内閣で僕より少し先に防衛庁長官に就任した神田厚元衆議院議員が逝去された。年齢は僕より一つ年上、大学は早稲田、僕は慶應と違いはあったが、同期の11人の中で2世議員同士ということもあり仲良く、又、お互い切磋琢磨で民社党、新進党と苦楽を共にした。
平成6年羽田内閣での防衛庁長官の就任直後から身体を壊され、平成8年には小選挙区を山岡議員に譲り、比例での当選だったが身体の衰えが激しく、平成12年解散をもって引退をされた。大変人柄がよく、みんなから「あっちゃんあっちゃん」と親しみを込めて呼ばれた。それだけに選挙も強く、8期連続当選をされた。
旧民社の同期で中野寛成さんと神田さんだけが連続当選だったが中野さんも今は落選中で本当にみんな激しい戦いの中で命がけで頑張ってきたと思う。春日一幸先生が韓国へ行かれる時は常に神田さんがおともで、僕も何度も同行した。それだけにソウルで様々な事を思い浮かべ66歳という早い死別に言いようのない寂しさを覚えた。
27日、葬儀で弔辞をとのご依頼があった。上手くまとまるかどうかはわからないが同期を代表して、別れを告げたい。
|